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部屋の白い壁

物語
04 /01 2012
部屋の白い壁


著者 白神唯


 白く大きな壁に背をもたれて人形のように座っているのが好きだった。何も考えずただ座ってボーと天井を眺める。なんとなく満たされた気持ちになる。背中に白い壁、天井も白ければ文句はない。綺麗で神聖な気持ちになれるのだ。いつの頃から好きな色が白になったのだろう。なんとなく、好きになっていた。
「白、だよね・・・・・・」
 広い何もない部屋で一人、背中に壁の冷たさを感じていると胸の内から安心感が沸いてくる。小さな子供が母親に包まれているような安心感。
 部屋には大きなソファとパイプベッドがあり、どれも私の好きな物だ。他には好きな作家の小説が疎らに部屋の隙間を埋めている。そんな疎らさが自分の感性では受け入れられる。
 簡素な部屋だった。テレビもオーディオもない部屋。ただ白く広い壁があればいい。
 実家に居る時も家の中では何もない畳の部屋が好きだった。祖母の部屋から襖を開け放して外を眺めているのが何よりも好きだったのだ。そこに流れる風や日の光、鳥の声を静かに聞いているのとても好きで、落ち着いていられた。
 私は昔からよく変わっている、と言われる。
「広子は変わっているよね」と高校の友達にはよく言われていた。
「そう?そうかもね」
「否定くらいしなよ」
 高校が女子高だった私は友人というと女の子しかいなかった。
 男の子については年頃の娘である以上、興味はあったがそれほど考えたことがない。運と縁があればなんとかなるだろう、と考えていた。そのために私は女子校の中でも奥の方にいたようだ。他の友達はそれなりに恋愛をして彼氏を持っていたし、普通に失恋もしていた。
 でも、その時の私にはわからなかった。なぜ、あんなに失恋して悲しんだのにすぐつき合うのだろう。
「それは、理屈じゃないよ。広子もつき合えばわかる」
 友達にはよく言われていた。
 その時はそうなのかと思い、そういうもんだと思っていた。
 恋愛相談をされた事はないが、失恋パーティーには良く呼ばれたものだった。私なんか場違いな感じも受けたが、それなりにみんなではしゃいで楽しいので誘われれば顔を出していた。それに失恋した本人が明るくなっていくのはとても好きだった。何かその子に感動すら感じる。小学校の理科で見た発芽の早送りに似た感動だ。何か小さい物が力一杯立ち上がろうとする強さだった。
「元気出しなよ。広子みたいのだっているんだから」
 失恋した子を励ますために友達が言う。
「えへへ、そうだよ」と私も慰める。
 すると、少し元気になって「ありがとう、広子」
「どういたしまして」
 私は男性を好きになったことがなかった。だからといって女性が好きな訳ではない。もちろん、男性に興味はあるが、自分からどうかしようという気持ちはなかった。積極的に街を歩いたり、お洒落したりなどしたことがない。地味な服装に商店街が関の山だった。変身願望のない私は校則のままの姿だった。
 愛ってなんだろう。
 時々、詩人のように考えていた。愛についての定理みたいなものが欲しかったのだ。みんなは何となくわかっているのだろう。でも、私には考えれば考えるほどわからなくなっていった。そのうち考えるのをやめて、外を眺め夕日を浴びる。淡く揺れる赤が全身を朱色に染める。朱色になった体は冬の寒い日でも暖かくなっていくようで気持ちがいい。
 いつも私は高校の頃の事を一人静かに白い壁に寄りかかって思い出していた。
「なつかしいな。あの頃、恐いものなんて何もなかった」
 白い壁を通じて私は昔の自分に戻れた。一人静かに背中で壁に寄りかかっている私は大人であり、少女だった。
 何も知らない地味な少女の私と何もかも知っている今の私。一人でいる事が大好きだった子供と一人なのが泣きたくなるほど辛い大人。
 壁に寄りかかっている今の私は目から涙がこぼれ落ちた。それが次第に大きな悲しみの呼び水となり涙が止まらなくなった。私は声を上げて泣いていた。私は高校時代の広子を思いだし、広子みたいのだっているんだから泣くな、と自分に言い聞かせてみたが余計悲しくなるだけだった。
 高校を出た私は親の反対を押し切り、一人暮らしを始めた。始めは何もかも新鮮で楽しかったが、それもつかの間、すぐに寂しさに負けてしまった。何度、帰ろうかと思った事か。そう考える度に親の「やっぱり」と思う顔が浮かんで悔しかったから、帰らなかった。今思うとただの子供だったのかもしれない。
 一人暮らしを始めた私は暇つぶしと生活の為にバイトを始めた。働いている間は寂しさから離れる事ができる。それにバイト仲間や社員はとてもいい人で楽しかった。きっとその時はとても幸せだったと思う。
 バイトの疲れも大きな白い壁が癒してくれる。誰もいない部屋で壁に背中を当てて「ふう」と一息吐く。すると壁の冷たさが背中にとても気持ちいい。人には見せられない姿だな、といつも思うが別にやめようとは思わない。静かな時間を過せるのがとても好きだった。
 バイトは流行曲を売るCDショップだった。店内は当然のごとく、ヒット曲が流れる。うるさいくらいだったが、一人暮らしで孤独に嫌気がさしていた私には、天国に見えていた。すぐにバイトの面接を受けて働き始めた。
 うるさいくらいの音楽と多くの人への接客は孤独感を癒してくれたが、そのせいか今度は人のいない所への憧れを強めた。お陰で自分の部屋を愛する事ができるようになった。人のいない空間である白い壁のある自分の部屋を。
 バイトをしていると流行曲の中でとても気に入る歌が流れる。私はバイト中でもつい曲に合わせて口を動かしてしまう。
 この曲いいな、とそんな感じを受けてしまう。音楽に詳しいわけでもないがこの歌はセンスがある、と思ってしまう。そんな時、一緒に店に入っている祐美ちゃんに話しかけてしまうのだ。
「ね、この曲、すごくいいよ」
 音楽に詳しい祐美ちゃんは少し店内に流れる曲を聴いてから、何という曲か教えてくれる。その時「私も好き、この曲」と言ってくれるとすごく嬉しい。
 祐美ちゃんがチェック入れている曲は売れる。これはお店の法則だった。それも何気なく彼女は言ってのける。宣伝予告の準備している時に祐美ちゃんが手を止めて、
「広子ちゃん、この曲って売れるよ。きっと」と笑いながら言ってくる。
 祐美ちゃんが書いている予告の紙にある歌手の名前など私は聞いた事がない。でも、彼女はどこかしら自信があるように言うのだ。反対にどんなすごいアイドルの新曲でも祐美ちゃんが反応しない曲は売れなかった。売れても瞬間的に終る。
 一度、祐美ちゃんの占い師のような選曲はどこから来るのか聞いた事がある。
「祐美ちゃんはどうして売れる曲がわかるの?」
 祐美ちゃんは少し考えた振りをして、「うーん。直感・・・・・・、かな」と言った。
 私は驚いて「すごい、音楽界の占い師だね」と言うと、
「ホントは違うよ。ホントはCMとか流れていい曲とか覚えてるの。それとか、作詞作曲が誰なのかな、とかチェック。深夜のテレビとかで出てくるのも見ておいていい曲は覚えておくの。だから、やっと出るのか、この曲。っていつも思ってるだけ」
 祐美ちゃんは今書いている新曲の予定表を引っ張り出して、「うーん」と言うと中の一つを指して、
「この曲も前に深夜テレビで出てたけど、すごくいい感じだったよ。これも売れる」と言うと笑って私の方を向いた。
「すごい、ホントにチェックしてるんだね」と私は驚いて言った。
「でも、広子ちゃんもすごいじゃない。売れる曲に反応してるし、いつも口が動いてる。私なんかより占い師みたい」
「そうかな?」と私は笑った。
 確かに好きな曲には無意識に口を動かしていた。お陰で退屈もしないし、飽きもせずに働く事ができた。私にとってとても楽しい幸せな仕事だ。
 昼は働き、夜は家でゴロゴロする。いつもの生活だった。それでも時々祐美ちゃんが遊びに来てくれるのでとても楽しい。祐美ちゃんも高校卒業してフリーターをしているらしい。でも、私とは違い親と生活をしている彼女はとても一人暮らしに憧れているようだった。
だから私が、「一人って寂しいよ」と言うと「でも、羨ましい」と言ってくる。
「そう言うんだったら、一緒に住む?」と私は冗談のつもりで言ったら、祐美ちゃんは目を輝かして、「うん、住む!」と言った。
 それから、あれよあれよと話が決まり、彼女が家に遊びに来たついでに泊まっていく事になった。それも今日、バイトの終わってすぐに荷物を持ってやってくるという。なんてアクティブな子だろう、そう思った。
 祐美ちゃんは私より歳が一つ大きいが、体が小柄で可愛らしい感じであるため私の方が年上のような気になってくる。
「広子ちゃんの方がしっかりしてるよ」
 祐美ちゃんはいつもそう言ってくれる。でもやはり困った時はいつも祐美ちゃんは頼りになった。そんな時に本当に一つ上のお姉さんに思えてくる。
 私の家に泊まりに来る事が決まってから祐美ちゃんはとても楽しそうだった。一人暮らしは大変そうだけど、広子ちゃんとなら楽しそうだもの、と私に言ってくれる。仕事が終わってから、二人で必要な物について相談した。私達はお店が閉まってから服を着替えて、祐美ちゃんの車に乗って祐美ちゃんの家に向かった。
 外はもう日が沈み、大きく丸い月が出ていた。月明かりのお陰でとても明るく奇麗な夜だった。祐美ちゃんの車の中には私の好きな曲が流れていた。私はそれに合わせて口を動かす。
「広子ちゃんはこの曲が好きね」と祐美ちゃんは口を動かす私を見て笑った。
 私は恥ずかしくなったが、「うん、とても好き」と笑った。
 運転をしている祐美ちゃんはとても大人のようだ。彼女は車を自在に操り、道をスイスイと走っていく。私は通り過ぎる景色をぼんやりと眺めていた。そして、車ならどこへでも好きな所へ好きな時間に行けるのかな、と思った。私はそんな自由が好きだったがどうも運転が恐い。自分にこれだけ運転ができるとはとても思えなかった。運転したいけど運転をする自信がない、と私が言うと、
「大丈夫よ。私にだって出来るんだから」と祐美ちゃんは笑って答えてくれた。
「一人暮らしするほうがよっぽど難しいよ」と続けた。
 車は夜の街を抜けていく。通り過ぎる人達はどこかしら疲れているように見え、また仕事からの開放感が感じられた。足早に帰る人、どこでご飯を食べようか相談している人、様々な人が目の前を通りすぎていた。
「あ、あそこ、事故じゃない?」
 祐美ちゃんが私に言った。
 私が祐美ちゃんの指すほうを見るとそこにはガードレールと電柱にぶつかっている車と横転している車があった。車の周りには救急車や警察のパトカーなどの姿が見えた。
「すごい・・・・・・。車って恐いね」
 事故を見た私が言った。運転する勇気が一気に萎えていくのがわかる。
「ホントね。まじめに運転していれば事故なんてないんだけどね。気を抜いた人の運転に巻き込まれて事故になる人は不幸だよ」
 祐美ちゃんは悲しそうな声で言った。
 私が黙っていると祐美ちゃんが気づき、
「あ、私の運転は不安? 大丈夫、すごく集中してるから。大船に乗った気でいてね」
 私が祐美ちゃんの運転に不安を感じたのだと思い、明るく言ってくれた。
「違うって。祐美ちゃんの運転は信用してるよ。そうじゃなくて、巻き込まれる人は本当に可哀相だね。私も運転する時は気をつけないと」
 私は事故現場を横目で見ながら言った。
「良い心がけだ。それなら免許も取れるであろう」
 祐美ちゃんは笑いながら言った。
 それから、二人で祐美ちゃんの家に着いた。祐美ちゃんの家は大きな家で庭もあり、何本かの木や無数の花が咲いていた。祐美ちゃんは車を車庫に入れると私を家に連れていった。
 家の中では祐美ちゃんの両親に挨拶をして私の家に泊まる許可をもらった。許可をもらった大きな理由は私が女の子だったからだろう。当然か。それから祐美ちゃんのお泊りセットを用意したり、パジャマがあまりにも可愛いので私が冷やかしたりしたら、祐美ちゃんも顔を赤くした。やっぱり祐美ちゃんも普通の女の子なんだな、と思った。
 荷物を少し車にいれると、私達は車に乗り私の部屋へ向かった。私の部屋はここよりバイト先の方にある。そのために今来た道を戻ることになった。
「ね、お酒買っていこうか」
 祐美ちゃんはそう言って酒の売っている店に車を停め、二人で今晩飲む酒とツマミを買った。こんな所でも二人で買い物をするのはとても楽しい。普段ならいらない物でも買ってしまうから不思議だ。
 車を私の部屋の駐車スペースに止めて二人で荷物を持ちながら私の部屋へ向かった。そうして祐美ちゃんは私の部屋に着くと「お邪魔します」と言い、荷物を部屋の隅っこの方へ置いた。
「適当にくつろいでね」
 私は部屋を観察している祐美ちゃんに言った。
 祐美ちゃんは「はーい」と言うと、傍のソファの腰を下ろした。
「あ、これすごく座り心地いいね。私、ここで寝ていい?」
 祐美ちゃんはソファをパンパン叩き、感触を気に入っているようだった。
「え、そんな所でいいの。ベッド使ってもいいよ」
 私が台所からグラスを二つ持って行きながら言った。
「ベッドは悪いからいいよ。私ここね」
「はいはい。ひとまず乾杯しますか」
 私はグラスを祐美ちゃんに渡しながら言った。祐美ちゃんはグラスを受け取ると今買ってきたお酒を開け、二人のグラスに注いだ。その間に私はツマミを開けて食べやすい様に袋を裂き、中身がつまみやすいようにした。
「では、新しい住人の歓迎の意味も込めて、かんぱーい」と私が言った後に、「かんぱーい」と祐美ちゃんも続いた。
 二人だけの宴会が始まり、楽しく女の子だけの話に花が咲いた。祐美ちゃんが来た部屋はいつもと違い、いつもならそこにいるはずの見えない孤独が今日は顔を見せなかった。代りに明るい笑い声や驚いた声が部屋の中にあった。眩しいくらいの白い壁も気にならず、今日はただの壁にしか見えなかった。いままでいた旧友がいなくなったような寂しさがあったが、それ以上に祐美ちゃんといる事が楽しかった。
 祐美ちゃんは結構昔から人見知りが激しく、なかなか話せる友達もいなかったそうだ。だから、これだけ話しているのは久しぶりだと言っていた。そんな感じで二人はとにかくよく笑った日だった。買ってきたお酒も空になり始めて、少し物足りなかったが買ってくる気はしなかった。何より酔った足で行ける距離にはお店もない。
「もう寝ようか」と私が言うと祐美ちゃんは元気にうなずいた。
「うん、寝よう。私ソファだよ」
 祐美ちゃんはとてもソファがお気に入りでそのまま横になってしまった。まるで人形が倒れるように愛らしい倒れ方だった。私は祐美ちゃんに布団をかけてあげ、その後自分のベッドに入った。
 部屋の電気を消したため、部屋は暗く重い闇が現れた。それを破るように祐美ちゃんの声が聞こえた。
「ねえ、広子ちゃん。好きな人っている?」
 祐美ちゃんの顔は見えないからどんな風に答えていいのかわからなかった。闇の中に時間が過ぎていった。
「そうだね、今いないかな・・・・・・」
 私が答えるとまた少し時間が過ぎていく。
「そっか、良かった。もしいたら、私がいると迷惑かなって思ったから・・・・・・」
 祐美ちゃんの眠りに落ちてしまいそうな声が聞こえてくる。
「迷惑じゃないよ。一人より楽しいし、祐美ちゃんなら大歓迎だよ」
「そう、良かった。また泊っていい?」
「うん、いいよ。ぜひ泊っていってよ」
 少しの時間が過ぎてから、ありがとう、と返事が返ってきた。その後に、おやすみ・・・・・・、と小さな声が聞こえた。
 おやすみ・・・・・・、と私も眠りに落ちていった。
 朝、昨日のお酒のために少し体がダルかった。二人で起きてからバイト先に祐美ちゃんの車で向かった。祐美ちゃんの車があるために自転車で疲れる必要はないのが嬉しかった。バイトでは二人でだるそうにしていると妙に楽しい。祐美ちゃんと顔を合せる度に苦笑した。
「ダルイね。早く帰りたい」と祐美ちゃんが私に言ってきた。
「私も。早く帰りたい」と私は笑って答えた。
「夕食どこかで食べてから帰る?」と祐美ちゃんが言った。
「賛成」と私は疲れた声で返事をする。
 家に帰っても料理をする気力はないだろうな、と思った。
 私は店内で商品補充をせっせとしていた。祐美ちゃんはレジでお客さんを相手にしている。横目で祐美ちゃんを見るとダルさを感じさせない笑顔で客を相手にしているのはすごい、と思った。きっと、私があそこにいたら不機嫌な顔で立っているだろう。祐美ちゃんの方が接客が向いている。私はこういう裏方のような仕事の方が好きだった。
 仕事が終ると二人で一緒にお店から帰った。
 疲れたね、疲れた、と二人で言いながら、着替えていると今日の仕事が終った事がとてもすごいことだと思えてきた。良くこんなにクタクタになりながらも笑顔を維持していられたものだ。私も祐美ちゃんもすごいなあ、と思えた。
 祐美ちゃんはそれからも家に泊っていた。始めは少し家に帰ったりしていたが、私の部屋が心地良いらしく私の部屋に帰ってくる度に「ただいまー」と言って帰ってくる。私も「おかえりー」と言って迎える。
 祐美ちゃんの笑顔のあるこの部屋はまるで別世界だった。今までが寒々とした廃虚だとすると、祐美ちゃんのいる部屋は小春日和のお花畑よう温かさがあった。だから、祐美ちゃんがいない日はとても人恋しくなる。前はその廃墟に慣れていたから平気だったけど、祐美ちゃんのいる生活に慣れると静けさに耐えられなくなった。祐美ちゃんのいない日は何をしていいかわからず、部屋の中を歩き回ったり、床にごろごろ転がったりしたが寂しいのには変わりなかった。
「ただいまー」
 祐美ちゃんが里帰りから帰ってくると部屋はお花畑になる。私はこの墓場からお花畑に変わる瞬間が何よりも好きだ。
「おかえりー、寂しかったよー。えーん、えーん」
 私は手を目に当てて泣く真似をすると、祐美ちゃんは近寄ってきて頭を撫でてくれる。
「はいはい、泣かないの。ほら、お土産だぞ」
 近所でも美味しいと有名な洋菓子屋のシュークリームだった。私はこれに目が無い。
「わーい、ありがとう。祐美ちゃん」
 泣いた子がもう笑っている。
「どういたしまして。食べよ」と祐美ちゃんは言うと台所でコーヒーを煎れてくれる。
 シュークリームとコーヒーと祐美ちゃん、これだけで私はとても幸せだった。他には何もいらないかと聞かれれば、「欲しい」と言うだろうがシュークリームとコーヒーと祐美ちゃんは私の幸せの最低必要条件なんだと思う。この三つの中と交換であったら、「嫌だ」と言うだろう。それくらい好きなのだ。
 朝、祐美ちゃんは早く起き出して準備をしていた。私もその音で目を覚ました。
「起こしちゃった? ごめん。今日は休みなんだからゆっくり寝てなよ」
 祐美ちゃんは私に気を使って言ってくれた。
「うん、そうする・・・・・・。おやすみ」
 私はベッドに倒れながら言った。
 今日は私が休みの日だった。だから、準備もせずぐうたらしていられる。祐美ちゃんは自分が休みの日でも早く起きて私の送り迎えをしてくれる。自転車に乗らなくていいから楽だったし、何より祐美ちゃんと一緒で嬉しかった。そういう所で祐美ちゃんは優しいのだ。
「それじゃ、行くね」
 準備が終り、祐美ちゃんは私に言ってくれる。
「いってらっしゃーい、気をつけてね」
「うん、いってきまーす」
 何気ない会話だった。朝の光がカーテンの隙間から射してくる。今日はいい天気だな、と思いながらまどろみの中にいた。祐美ちゃんが家を出たのも夢の出来事のような気がしてきた。それからしばらくして亀のようにのそのそと起きだし、はしたない格好もそのままで冷蔵庫の中からヨーグルトを取り出した。
 我ながら手抜き朝食だな、と思いながら寝癖で覚めていない頭を冷たいヨーグルトが覚ましてくれる。今日は何しようと思いながらテレビをつけ、ボーとしていた。そんな時に突然、電話が鳴った。
 電話とはあまりいい知らせを伝えてこない。なんだか、嫌な予感がしたが、取らなくてはならないような気もした。
「はい、もしもし・・・・・・」
 私が電話を取ると受話器の向こう側は慌ただしい音が溢れかえっていた。私のいる部屋とは全く違った世界だった。何よりも受話器の相手は錯乱と混乱で何を言っているのか、さっぱりわからなかったが一つだけわかった事があった。
 それは、祐美ちゃんが事故で大変になっていたことだった。電話の相手は祐美ちゃんのお母さんで事故があった事を私に知らせるために電話をかけてきたが何を言ったらいいのかわからない状態だったらしい。
 私はすぐ病院の場所を聞き、急いでタクシーに乗り込み病院に急いだ。私も何がなんだかわからなくなっていたが、とにかく急いでいた。祐美ちゃんが無事で元気な笑顔を見せてくれる事を祈りながら。
 それからタクシーが病院に着き、髪の毛を振り乱しながら私が駆けつけた時にはもう全て手後れだった。あんなに仲が良く、笑顔の可愛い祐美ちゃんは静かに息を引き取っていた。
 絶句した私はそれを見た瞬間に目から涙が零れ落ち足が立たなくなってしまい、そのまま泣き崩れてしまった。予想さえしていなかった死を見たのはこれが初めてだった。何よりも、朝までは彼女は明るい笑顔を振り撒いてそこで笑っていたのだ。こんな事が信じられるはずがない。
 祐美ちゃんが死んでしまったのは、交通事故が原因だった。祐美ちゃんはいつもの通り安全運転していたが、急いで信号無視した車に突っ込まれてしまったらしい。そして、運悪く祐美ちゃんだけが死んでしまった。
 当然相手は捕まり警察に連れて行かれたらしいが、そんな事はどうでもよかった。相手がどう詫びようと彼女は帰ってこない、その現実の重みで私は潰されそうになった。祐美ちゃんの死が重くのしかかり私は立ち上がる事ができず、ただ泣いていた。
 それからの私はバイトも休みをもらい祐美ちゃんの葬儀を手伝った。何よりも祐美ちゃんの傍にいてあげたかったのだ。大好きな祐美ちゃんの傍に。
 家に帰ると孤独がそこに居座っていた。お花畑であった私の部屋は静かな墓場のようで時々涙が零れ落ちてきた。祐美ちゃんの残していった物がたくさんあったが、どれもこれも祐美ちゃんの帰りを待っている。夕方、部屋にいると祐美ちゃんがシュークリームを持って帰ってくるような気さえしていた。それがとても悲しかった。どんなに待っても彼女は帰ってこない。人はこんなに簡単にいなくなるものかと一人で考えていた。
 一人で白い壁に寄りかかり、白い天井を見上げた。久し振りにこうしていると少しだけ落ち着く事が出来た。
 祐美ちゃんがいなくなった事を考えるのをやめよう、そんな事を考えているとなぜか、涙がまた零れてくる。
「私って弱虫だよね。祐美ちゃん・・・・・・」
 涙が溢れて一人泣きじゃくっていた。そのまま、泣き疲れて眠ってしまう日もあった。
 泣いていない時の私は無力感の塊だった。もしくは空気だった。そのまま空にでも飛んでいけそうな気さえした。
 食事もしていないで、たまに外に行けばワインを買ってそれを流し込んでいた。酔えなかったが、まともに歩く事は出来なかった。そのまま、ソファに倒れ込むと懐かしい祐美ちゃんの匂いが残っていて悲しくなっていった。
「祐美ちゃん、一人って寂しいよ・・・・・・。また会いたいよ・・・・・・」
 部屋は静かで、二人で過していた時は少し窮屈な感じがしていたが一人になると広すぎた。無気力の私には一日あっても端から端まで行けるかさえわからなかった。
 精神は安定しなかったが、涙が枯れてきた頃にバイトに戻った。そこにも祐美ちゃんはいない。前のような元気さはないが働く事は出来た。とりあえず、賑やかな店内にいると無理にでも元気になれる。祐美ちゃんの事は忘れたくはないが、祐美ちゃんの死は忘れたくて仕方なかった。だから、死を感じさせる歌を聞くと心の底から悲しさが溢れ出してくる。胸が痛いくらい辛くなるのだ。
 バイトから疲れて部屋に戻ると私は壁に背を当てて、静かにしている事にした。何より、昔から一番落ち着く方法なのだ。出来るだけ、心を空っぽにする。祐美ちゃんの死を受け止められない私は、心を無にするしかやり場がなかった。きっと、そのうちに祐美ちゃんの死を受け止める時が来るだろう。その時まで、そっとしまっておこう。
 白い壁が私を包み込んでくれる。頭の中から体の中まで真っ白になる。喜びや悲しみ、辛さや楽しさ、全てを忘れる事にした。
 そう、昔の私になろうとしていた。高校の頃の私。
 白い壁を通じて、私と背中合せに高校生の広子がいる。彼女はただそこで座っている。
「どうしたの? 背中が泣いてるよ」と高校生の広子が私に言った。
「大切な友達が死んじゃった」と私が言う。
「ふうん、そうなんだ。大変だね」
 広子は素っ気無く言った。それに対して私は何も答えなかった。
「とても辛いんでしょ? 友達が死ぬのって」
 広子は感情のない声で聞いてくる。
「うん、とても。私も死んじゃいそうなくらい悲しい」と私が答える。
「私にはわからない。だって、大切な友達がいないもの。それに好きな人も」
 ほんの少しだけ、広子の声が寂しそうに聞こえた。
「可哀想、楽しいよ。友達がいると」
 私は広子に言った。
「ま、私みたいのもいるからさ、頑張ってみてよ。あなたなら大丈夫だよ」
 広子は私に言った。
 昔の私ってこんなに寂しそうな雰囲気だったのかな。何も大切な物を持っていない私。何となく友達が失恋パーティーに呼んだわけがわかったような気がする。
「うん、頑張る」と私は元気に答えた。
「よかった。私帰るね。何かあったら呼んでいいよ」
 私の背中には白い壁だけがあった。
「ありがとう、広子」
 私はそう言うと久し振りに眠る事ができた。
 そして次の日。天気も良く気持ちいい日なので祐美ちゃんのお墓に花を持って行ってあげた。
「今までも、そしてこれからも一番の友達は祐美ちゃんだよ」
 私がそう言うと心地よい風が流れていった。
 それはまるで祐美ちゃんの笑顔のような風だった。

黒崎銀二

Twitter:Ginji_k
この作品はフィクションであり、実在の人物・団体・事件などとは一切関係ありません。
ええ、フィクションです。
投資法は現物買い推奨
投資による損失は自己責任でお願いします。
福澤桃介と金子直吉の評価の低さを憂う。
2007年8月31日開設
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