オオカミ少女と黒王子観てきたけど、二階堂ふみはいいんだよ。山崎賢人も割りと頑張ってるんだよ。ただあの映像はなんなんだ。やたら手持ちカメラでフラフラしてるし、登場人物を遠すぎるところから撮ってるので距離がありすぎ。しかも長回しを結構意識的に入れてる。まあ、天才二階堂ふみはゴミ脚本でも傑作に変える演技力はあるので大丈夫かと思ったら、この監督は天才を凡才に変える手法を多用して天才役者を殺すことに成功する。さすがの二階堂ふみでも映画の大スクリーンでも表情が確認できないほど小さく映されたらどうしようもない。
あんなに小さかったら二階堂ふみや山崎賢人でなくてもいいし、吹き替えでもいいわけで。てか撮影したフィルムを紛失したからあれで間に合わせたとか理由がなければあの映像になった理由がわからない。タイトルを劇場版ウォーリーを探せ!にするならまさにウォーリーを探せ!の劇場版化が見事に出来てると言えるが、別にどこで役者が喋ってるのかわからないのが必要な映画ではないし、クライマックスシーンなんか遠くから映しながらカメラは動いてるから物に役者が被るし。なんなの?この映画。挑戦的な事をやりたかったんだろうけど、こんな少女漫画でやること無くね?常にカメラはフラフラしてて安定してないし、カメラも固定ではないので常に動いてるし、距離があって役者の全身が映るレベルまでなら狙いとしてよかったけど、どんどん遠くなっていって初顔で出たキャラなんてどんな顔してるのかわかるの時間かかるし。なんかドキュメンタリー映画とかホラー映画みたいな気持ち悪さが手持ちカメラであるし。
天才役者を殺すなら、遠くから豆粒のようにしてしまえばいい。つーか遠目で長回しだからエキストラの方が演技力がいるとか意味不明。